トッド・ラングレン 『サムシング/エニシング?』特集
2011-01-30
『音の魔術師 TODD RUNDGREN
“サムシング/エニシング?”特集』。
1972年.アナログLP2枚組!A面からD面まで全25曲!
というボリュームでリリースされたトッド・ラングレンの3枚目の
ソロアルバム“サムシング/エニシング?”
キャッチーでありながら陳腐でない、
本当に素晴らしいPOPソングが詰まっています。
M. It Wouldn't Have Made Any Difference
1曲目にお送りしたのは、1972年にリリースされたアルバム
『サムシング/エニシング?』から、“所詮は同じこと”です。
本当にラジオ向きの完成度の高い素晴らしいPOPナンバー!
楽器、ボーカルは全てTODD一人!というのが凄すぎます!!
M. I Saw The Light
さて、次にお送りしたのは、“I SAW THE LIGHT”です。
トッド・ラングレンの代表曲、そして1970年代を代表する名曲、
として本当に有名なナンバー・・・ですが・・・
全米チャートでは16位、どまりだった、ということですから、
意外ですよね。
この曲も勿論TODD1人で制作!
今では、1人多重録音、宅録なんてメジャーですが、当時は珍しかった!
ポール・マッカートニーなんかも同時期に宅録してましたが、
アレンジ的なカラフルさ、完成度は明らかにTODDの勝ち!ですよね。
あくまで、自分の理想を求めるための個人作業、なんですよね。しかも、当時自宅録音で使っていたのは8トラックのテレコですから・・・。
おそらく、気が遠くなるほどの作業だったハズです。
さて、トッド・ラングレンは、1948年にアメリカ、
ペンシルヴァニア州フィラデルフィアで生まれました。
4歳でピアノをはじめて、8歳からはギターもスタート!
とにかく、ビートルズの熱狂的なファンで、
“おれもビートルズになりたい!”ということでバンド活動をスタート!20歳のころには、’68年には、自身のバンド、ナッズ(NAZZ)で
アイドルバンドとしてデビュー。
3枚のアルバムを残して、ちょっとだけヒットしました。
そして、2年後に売れなくなると解散、とお決まりの流れになりますが、
そこからがトッド・ラングレンの凄いトコロ。
見てる人は見ているもんです。
その才能があらゆるところから引く手あまた、となります。
M. Wolfman Jack
次にお送りしたのは、1972年のアルバム
『サムシング/エニシング?』から、“ウルフマン・ジャック”です。
彼の愛する伝説的なラジオDJに捧げた曲ですね。
さてさて、さっきの話の続きです。
1970年に自身のバンド:Nazz(ナッズ)が解散した
トッド・ラングレン。しかし、意気消沈する間もありませんでした。
ただのアイドルバンドの1員だった彼の才能に
様々な業界関係者が目をつけていたんですね。
まずは、エンジニアとしてジェシ・ウィンチェスターのアルバムと
THE BANDのアルバムに参加。
さらに、ポール・バターフィールド・ブルース・バンドのプロデュース
までもバンド解散の年に行っています。
※因みに、同年JANISの遺作『PEARL』のプロデューサーにも抜擢
されましたが、JANISとぶつかって途中解雇されたんだそう。
当時、まだ22歳!というような若造ですが、
本当に業界内での評価は高かったんですね。
そして、自身もソロアルバム『RUNT』でソロデビュー。
1971年にはセカンドアルバム『RUNT:
the ballad of todd rundgren』をリリースします。
そして、その翌年にリリースした三枚目のアルバムが、
今日特集している『サムシング/エニシング?』。
生まれ育ったフィラデルフィアに根付くフィリー・ソウルや
モータウンの影響、またザ・ビートルズやキンクス、
ザ・フーなど同時代の英国ロック・バンドの影響が色濃く感じられる
素晴らしい作品で、ロングセラーとなりました。
M. Breathless
次にお送りしたのは、1972年のアルバム
『サムシング/エニシング?』のアナログB面から、
“ブレスレス”です。
サイドAのスタンダードなポップナンバーとは趣を変えて、
TODDのユーモアと実験精神が体験できる、ちょっとマニアックな
ナンバーですね。
当時、まだ珍しかったシンセサイザーやリズムBOXを使って、
実に新鮮で斬新な響きを、聴かせてくれています。
ちなみに、本作のレコーディングは、ロスのI.D.スタジオと、
8トラックのレコーディング機材を持ち込んだ自分の部屋の
プライヴェート・スタジオで行われました。
アルバムが出された前年の‘71年は、トッドはまさに
スタジオの虫となって、ずーっとこもって作業をしていたようです。
その様子は、アルバム・ジャケットの内側の見開き写真からも窺い知る
ことができます。
それでは、そのサイドBから続けて、もう一曲。
17歳の君に恋をしちゃったというラヴ・ソングです。
トッド・ラングレンで「マーリーン」。
そして、サイドCからハードロック色の強いナンバー
「ブラック・マリア」2曲続けてどうぞ!
M. Marlene
M. Black Maria
『音の魔術師 TODD RUNDGREN
“サムシング/エニシング?”特集』。
と題してお送りしていますが、
本当に聴けば聴くほど、音の魔術師!
という意味がよく分かるんじゃないでしょうか?
美しいポップソングも、実験的なシンセサウンドも、
GRAND FUNKも真っ青のハードロックサウンドも、
どんな曲でも書けて、そして全てのパートを1人で
演奏できてしまう・・・。
本当に天才の中の天才!ですよね。
まぁ、だからこそ、イメージが固定されず、リスナーも困惑。
ということで、大ヒットにはなかなか恵まれない・・・。
という、本当に音楽史上最強の器用貧乏、かもしれません。
でも、プロデューサーとしては、その幅広さ、が最も大切な要素!
ということで、実はプロデューサーとしては、
本当に凄い経歴があるんですね。
例えばホール&オーツや、ローラ・ニーロ、パティ・スミス、
チープ・トリックなど。
またイギリスではXTC、日本ではトッドを敬愛する高野寛や
レピッシュがいます。
(どの曲も、聴くとトッドの音と分かるから不思議!
さすが職人芸と唸ってしまいます)。
中でも、彼が手掛けたグランド・ファンクの
「We're An American Band」
は全米でNo.1ヒットを記録しました。
そんなヒットシーンの中心にいながら、反面、彼は彼で、
地道に彼独自の音世界を、あまりチャートに左右
されることもなく、作り続けていきます。(まるで仙人みたい!)
M. Couldn't I Just Tell You
M. Dust In The Wind
サイドCに収められた「クドィント・アイ・ジャスト・テル・ユー
(伝えずにはいられない)」に続いてお届けしているのは、
LPのサイドDに収録の、
「ダスト・イン・ザ・ウィンド(風に舞うほこり)」です。
サイドAからサイドCまでは、一人の多重録音で制作されていますが、
この面だけは、セッション・ミュージシャンとコーラス隊を集めての、
一発録りで作られています。
最終的に、このアルバム『サムシング/エニシング?』は
1972年の米国アルバム・チャートで、29位まで登りつめます。
けっしてバカ売れしたアルバムではないのですが、
その後も隠れた名盤として取り上げられ、
語り継がれることの多い作品です。
ちなみにこのアルバムは、’87年「ローリング・ストーン誌」の
特別編集版で、<この20年のベスト・アルバム100枚>の一枚に
選ばれました。
またLPがCDにとってかわった、80年代中盤から後半にかけては、
レアLPとして、中古盤でも一万円前後というプレミアがついていました。
今は3000円以内で、CDで手に入りますので、
是非入手して全曲聴いてみてください。
お送りできなかった以外の曲も、名曲ぞろいです。
それでは特集最後にもう一曲。
ソフィア・コッポラ監督の映画『ヴァージン・スーサイド』でも
使われていたので、聴き馴染みの方も多いのではないでしょうか?
トッドが、60年代に組んでいたバンド、ナッズのバラード・ナンバーの
リメイクで、チャートでは5位のヒットを記録した曲です。
ちなみに翻訳ロックの天才!王様がこの曲をカヴァーしていますが、
曲目は「前略!僕です」でした。
M. Hello It's Me