エルトン・ジョン “僕の歌は君の歌”特集

2010-11-22


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ELTON JOHN“僕の歌は君の歌”特集』。

イギリスの売れないソングライターだったELTON JOHN
しかし1970年.世界が彼の才能についに気づきます。

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   BORDER SONG  /  ELTON JOHN  

1曲目にお送りしたのは、1970年にリリースされたアルバム
僕の歌は君の歌』からのファーストシングル:
BORDER SONG・人生の壁です。

かなり宗教的な歌で、ゴスペル風のコーラスなんかもアレンジされた
壮大なナンバーですね。後にアレサ・フランクリンがカバーして
ヒットしていますが、
このエルトンのオリジナルは、
リリース当初全く売れませんでした。

でも、エルトンの曲、バーニー・トーピンの歌詞は、ブレイク以前から
完全に完成されていて、相当に魅力的だったことが分かりますよね。

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   THE CAGE  /  ELTON JOHN 

さて、次にお送りしたのは、1970年のアルバム
僕の歌は君の歌
から“THE CAGE:檻の中にすみたくない”です。

グルーヴィーなピアノロックナンバー!
間奏のムーグシンセサイザーの音が、本当にたまりません。
THE WHOTOMMYという映画の曲中でも多様されていた
ムーグサウンドに本当に近い音ですよね。あーー、かっこいい。
ちなみに、そのTOMMYにもELTON JOHNは出演して、
素晴らしい歌とピアノを聴かせてくれていましたね!


さてさて、Elton John。いわずと知れた、超スーパースター。
世紀のピアノマンですよね。

本名は、レジナルド・ケネス・ドワイト、という日本人にはかなり発音が
難しい名前です。イギリスのミドルセックス州に1947年に生まれました。

このドワイト君は、はっきり言って神童でした。
4歳からピアノを弾いて、6歳のころには一度聴いた曲は全て
演奏できたんだそうです。
11歳の時には、王立音楽院に合格!
将来を嘱望されるピアニスト、音楽家として少年時代を過ごしました。

そんな彼は、クラシックと同じくらいロックもソウルもR&Bも大好き!
ということで、17歳の時には、友人とバンドを結成。
ソングライトもスタートして、日々、各事務所に自分の曲を売り込んで、
夜はLIVEをやって日銭を稼ぐという毎日を過ごしました。
そのころには、アイズレー・ブラザーズやパティ・ラベルなどの
バックバンドとしても
活躍していたそうですから・・・
どちらにしても大天才、だったんですね。

そんな彼の人生が大きく変わるのが1967年。
ある作詞家との運命の出会いを果たします。


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TAKE ME TO THE PILOT /  ELTON JOHN  

次にお送りしたのは、アルバムからの人気ナンバー:
TAKE ME TO THE PILOT:パイロットに連れていって”です。

でも、意味、分かりませんよね?パイロットに連れていって?
この曲の歌詞の意味は、当のELTON JOHNも全く分からないんだそう。

「バーニーの書く詞はときどき全く意味が分からない。
 でも、音の響きはとにかく素晴らしい。結局はフィーリングだからね。
 まぁ、バーニーもたぶんラリってたんだろうね。」

と語っています。。。
時代ですねぇ。

さてさて、さっきの話の続きです。

1967
年.エルトン・ジョン:当時のレジナルド・ケネス・ドワイトは
運命の出会いを果たします。

ある音楽出版社に売り込みに行ったときでした

『君の曲、なかなかいいねーー。でも、歌詞がちょっとイマイチかな・・・
 あっ。そういえば、さっき作詞家の卵が売り込みに来たんだけど、
 なかなかいいんだよ!これに曲あててみない?』

なんていわれて、歌詞の束を渡されました。
その歌詞を書いたその人こそが、名作詞家のバーニー・トーピンでした。

凸と凹がピッタリはまったように、
2つの才能が有機的に1つになるのに
時間はかかりませんでした。

バーニーとドワイトは職業作家として、次々に曲を生み出していきます。
楽曲を様々なアーティストに提供して、言われるがままに様々なジャンルの
ナンバーを量産します。

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時間で歌詞を書いて、30分で曲をあてる。
それでダメならボツ。というとんでもなくベルトコンベアーな状態
だったそうです。

そんな中、ドワイトは名前をElton Johnに改名。
そして、1969年。自身もソロアーティストとしてデビューします。

まぁ、ただこの頃のElton Johnはまだまだ職業作家。
プロデューサーやマネージャーのオーダーのままに、
曲を書く、という青二才でした。もちろん、ヒットもしません。

そんな中、セカンドアルバムでは、EJとバーニーは、肩の力を抜いて、
自然体で、自分自身の心の中を素直に表現しようと試みました。

そして生まれたのが、次にお送りする名曲です。
この曲で、彼らは一気にスーパースターとなりました。

 

M YOUR SONG  /  ELTON JOHN   

次にお送りしたのは、問答無用の名曲:YOUR SONG
“僕の歌は君の歌”です。

この曲のリリースで、彼の人生は決まりますね。

本国イギリス、そしてアメリカでTOP10に入る大ヒット。
アルバムも、イギリスで4位、アメリカで11位、
ここ日本でも40位に入るヒットとなって、
エルトン・ジョンの名前は世界中に轟きます。

そして、憧れのジョン・レノンからは、
この曲に対する最大の賛辞を貰います!

『この曲は、俺たち(THE BEATLES)の出現以来、もっとも新鮮な出来事だ』。

おりしも、1970年はビートルズが解散した年。
そんな年に、まるで入れ替わるように、イギリスから素晴らしい
ソングライターが
世に出たんですね。

もちろん、エルトン・ジョンにとっては、どんなチャートアクションよりも、
このジョン・レノンの言葉が嬉しかったんだそうです。

ちなみに、エルトンは、このアルバムでグラミー賞の最優秀新人賞にも
ノミネート。
そして、その後、ナンバーワンヒットを連発する
真のスーパースターとして
君臨するようになります。

Good bye yellow brick road
『キャプテン・ファンタスティック』

など、まだまだ素晴らしい名盤がありますが、
それは、また今後やりましょう。


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THE KING MUST DIE  /  ELTON JOHN