PEARL JAMの“ten”
2010-06-05
『NIRVANAよりビッグなのよ。本当は。
PEARL JAM デビューアルバム“ten”特集』。
1990年代の前半、それまでの産業ロックや、
ヘアスプレーMETALに反抗して、
カジュアルで薄汚い服装で、リアルな青少年の葛藤や悩みを歌う
ロックバンドが何とアメリカの同じ街:シアトルから幾つも現れて、
当時のロック界を一変させました。
“Smells Like Teen Spirit”でロック界を一変させたNIRVANA。
オルタナティブ・メタルと言われたAlice In Chains。
カートコバーンをして、こんな奴等には叶わない!
と言わしめたSOUNDGARDEN。
そして、このPEARL JAMです。
M. ONCE / PEARL JAM
1991年当時は、これがグランジかーー!おれがオルタナかーーー!
と新鮮に受け入れられていましたが、2010年の今聴くと、
本当にシンプルなロックナンバー。ですよね。
Pixiesなどの本家のオルタナ・バンドとは全く別物です。
さて、この歴史的な大ヒットアルバム、実はリリース当初は
全く売れませんでした。
しかし、NIRVANAが一足先に大ブレイクして、
シアトルのロックシーンが注目された事も手伝って、そして、
勿論アルバムの内容も素晴らしかった事もあって、超ロングヒット。
2年近くもチャート・インし続けました。
M. EVEN FLOW / PEARL JAM
お送りしたのは、ヒットシングル“Even Flow”。
Vo:エディ・ヴェダーの低音が魅力的ですよね!
ハイトーンvoiceが大半だった当時の主流とはかけ離れています。
さてさて、今日の主役:PEARL JAM。
もちろん、アメリカ・シアトルの出身です。
このバンドの歴史は、1987年に結成されたシアトルのバンド
「MOTHER LOVE BONE」に始まります。
(NIRVANAの結成年と同じ年ですね!)
ギタリストのストーン・ゴッサードと、ベーシストのジェフ・アメン、
そしてボーカリストのアンドリュー・ウッドというメンバーが
中心になって結成されたそのMOTHER LOVE BONEは、
1989年にはメジャーレーベルと契約。
1990年にはデビューアルバム『Apple』をリリースします。
まるでガンズのボーカル:アクセルのようにセクシーで魅力的なボーカリスト
を擁したこのバンドは、地元での圧倒的な人気、
そして評論家たちの後押しを受けて、
ブレイク必至の新人!といわれていました。
<当時の音楽性は、ガンズ寄り、ちょっとルーツを感じるハードロック
といった感じ。でした。>
しかし、そんな中、デビュー4ヶ月で、そのボーカルがヘロインの過剰摂取で
亡くなってしまいます。
残されたメンバーは、レッドホットチリペッパーズなどの友人バンドの
助けも貰いながら、失意の中、新たなバンドを結成すべく動き出します。
M. ALIVE / PEARL JAM
さて、MOTHER LOVE BONEという人気バンドを、ボーカリストの死という
悲劇的な形で失ったメンバーは、新たにギタリスト、ドラマーを迎え入れて、
そして、ついに過去を振り切るための強力なボーカリストを発見するに至ります。
ボーカルの名前は、エディ・ヴェダーです。
カリフォルニアでローカル・バンドにいた彼は、ライブハウスの店員をしながら、
ビッグになることを夢見ていました。
そんな中、彼のバスケ仲間からバンドがボーカリストを募集していることを
聴いた彼は、早速、バンドの歌なしのデモテープに、自分で歌詞まで書いて、
ボーカルを入れてバンドのメンバーに送りました。
圧倒的な存在感と、歌詞のクオリティに、バンドのメンバーは即決。
エディもシアトルに移り住んで、バンドのリハーサルやLIVEに参加。
マイクスタンドを壁に突き刺す!といったアグレッシブな新ボーカリストの
パフォーマンスは、前バンド:MOTHER LOVE BONEの幻影を消し去るに
十分なインパクトでした。
そして、ボーカルが決定したすぐ後には、何とEPICレコードとの
メジャー契約も得ます。
MOTHER LOVE BONEがデビューしてボーカルが亡くなったのと
同じ年に、この全てのことが起こっている訳ですから、
1990年という1年は、彼らにとって本当に波乱万丈な1年だったハズですね。
さて、レコード契約の時点で、バンド名はPEARL JAMに決定。
1991年には、ファーストアルバムのRECに入ります。
REC途中、ドラマーが変更になったり、と波乱のありますが、
無事、RECは終了。1991年の夏にデビュー作『ten』がリリースされました。
リリース当初、アルバムはほとんど売れませんでした。
しかし、NIRVANAの『NEVERMIND』が大ブレイクしたことをキッカケに
シアトルのバンドシーン、後にグランジ、と呼ばれた新たなロックシーンが
注目を浴び、発売後1年経過してから爆発的に売れ始めます。
チャートでは2位。そして、リリースから3年をかけて1300万枚という
奇跡的な売り上げを記録!そして、この曲も爆発的にヒットしました。
M. JEREMY / PEARL JAM
1991年のPEARL JAMの名盤『ten』から、メガヒッ
トナンバー“ジェレミー”でした。
学校で苛められていた少年が、教室の中で拳銃自殺してしまった事件を
テーマにしたこのナンバーは、当時の閉塞したアメリカ社会を象徴した楽曲、
と言われて、若者を中心に圧倒的な支持を得ました。
派手な衣装で、SEX、ドラッグ、R&R。パーティーに酒!
なんかを歌った現実逃避的なロックに違和感を感じていた若者は、
薄汚いネルシャツにジーンズで、リアルな現実を歌うシアトルのバンドたちに
共感して、NIRVANA、ALICE IN CHAINS、SOUNDGARDEN、
そしてこのパールジャムといったバンドがメガヒット。
ロックシーンは、“グランジ”と呼ばれたこの新たなジャンル一色になりました。
ジェネレーションXといわれた苦悩の世代の代弁者、とまで言われた彼らの
ムーブメントは、1994年のカートコバーンの自殺というショッキングな事件で
終焉を迎えますが、それまで、そしてそれ以降もPEARL JAMは、
アメリカでは明らかにNIRVANA以上の人気と共感を得て、
そして現在でも日本では信じられない程に、圧倒的な存在として君臨しています。
M. BLACK / PEARL JAM