それぞれの復興11年。移住者編|旅人:井門宗之

2022-03-10

東日本大震災から11年。かつて被災地と呼ばれた東北の町は、
11年前の姿が思い出せないほどに生まれ変わりました。
それは「かつて被災地と呼ばれた」と書かなければいけないほどに。
それでも思い出してみてください、あの震災直後の東北の姿を。
家の基礎しか残らない町並み、うず高く積まれたかつての人の営み。
どことなく灰色がかった町を行き交うトラック。県外ナンバーのパトカーや自衛隊の車。
そして全国各地から集まったボランティアの方々の姿。
今ではすっかり生まれ変わった東北の町並みも、
思えばスコップ一本、泥のかき出し一つからその道のりは始まったんですよね。
それを考えると、今の町の姿はとても感慨深くて…。
毎回東北の取材に来る度に「年月は節目じゃない」とは思うのですが、
11年は短いようでやっぱり長くて。
旅日記の冒頭から感慨深くなってる場合じゃないんですけど、やっぱりそうなっちゃう。

 

コロナの脅威はまだ続くものの、なんとか今年も東北にお邪魔することが出来たキキタビです。
*取材は最少人数で、スタッフ全員検査を受け万全の感染症対策で臨んでおります。
取材行程は岩手から宮城、そして福島へ。
番組自体は2週に渡ってお送りしますので、まずは1週目の移住者編からです。

 

 

 

 

 

 

 

 

震災発生直後、被災地には全国各地から様々な災害復興ボランティアの方々が入られました。
そしてその中には縁を繋いでそのまま移住した方も少なくありません。
そこにはそれぞれの物語があり、これからへと繋ぐ希望があります。
今回はそんな移住者の方々へお話しを伺う旅にしました。
これまでもキキタビでは移住者の方にお話しを伺う機会はありましたが、
「移住者」をテーマに番組を一本作るのは初めてのこと。
でも一本番組が作れるくらい震災から遠く年月を歩んできたという事なのかもしれません。

 

福島市から南東に約20km、阿武隈山系の山間にある川俣町の山木屋地区。
僕らが最初に訪れたのはこの素晴らしい自然に囲まれた里山です。
ここで『アンスリウム』の生産をしているのが谷口豪樹さん

 

 

 

 

 

 

 

 

こちらの谷口さんも埼玉県から移住された方です。

 

 

 

井門「谷口さんはどういった経緯でこちらに移住されたんですか?」

 

谷口「転勤の多い職場だったんですけど、2013年のクリスマスに福島にきました!ははは!」

 

 

 

豪快に笑う谷口さん、とにかく明るくて元気なんです(笑)
そもそも奥様の御実家がこちらで農業を営んでおり、
震災後はその御実家のお手伝いをしていたそうで。
復興の意味もあって「ここで何か出来ないだろうか」と考えていたんだとか。
転勤で来た福島が『一発で好きになった』ことも後押しになったのかなと思います。

 

 

 

谷口「福島はどうしても震災発生当初、土壌汚染の問題がありまして。
その中でアンスリウムというお花は土ではなくポリエステル培地で育つんです。
誰でも簡単に出来るんですが、綺麗に育つかは温度と愛情の差ですかね!わははは!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本当に楽しそうに笑う谷口さん(笑)周りを明るくするパワーが物凄い。
さてこのアンスリウムというお花、葉っぱの部分がハート型をしておりまして。
ハワイでは男性が女性に贈る花としても有名なくらい、温かな土地で栽培されておりました。

 

 

 

谷口「土を使わずポリエステル培地で育つアンスリウムをここでやろう、と。
近畿大学と川俣町でやってみようという事になりました。
お陰様で昨年27万本を生産しまして日本一、世界でも3割のシェアになったんです!」

 

 

 

そんな風に話す谷口さんはやはりどこか誇らしげで。
谷口さんは仰います。
『アンスリウムは復興の花の気持ちが強かった』って。
『だから最初から日本一を目指していた』って。
凄いな、本当に。気持ちの強さは推進力になるって、体現されているんだもん。
これは周りもほっとけないですよね(笑)

 

 

 

井門「このハウスはどうやって手に入れたんですか?」

 

谷口「はい、10年間使われてなかったハウスだったんですけど、
やりたいな~!やりたいな~!って思っていたらいつの間にか使えるようになりました!(笑)」

 

井門「そんなわけないじゃないですかっ!(笑)」

 

 

 

 

 

 

 

 

きっと谷口さんの熱意にほだされた方がいたんだろう、と思います。
谷口さんの夢を手伝いたい、何かしてやりたいと。
実は今も谷口さんに惹かれて1時間以上かけてここまで働きに来ている若者もいるそう。
この地に根差した産業で、しっかり雇用も生んでいるんです。
そうそう、僕らがインタビューしていた場所はアンスリウムの他にイチゴが栽培されていて。
この日も2つのグループがイチゴ狩りを楽しんでおりました。

 

 

 

井門「イチゴ狩りはいつから始めたんですか?」

 

谷口「今年からです!子供たちがここに来るきっかけを作りたくてイチゴを始めました。
子供たちに笑って欲しい、笑って帰って欲しいんですよね!わはははは!」

 

 

 

 

 

 

 

 

僕ら(おっさん3人)も取材の前にそのイチゴを少しだけ頂きました。
もぎたてのイチゴの瑞々しいこと、甘いこと!
谷口さんが仰るように、家族連れのお子さんが楽しそうに美味しそうにイチゴを頬張っていて。
その様子を眺める谷口さんの眼差しもとても優しくて。
実はこの日、試作品のあるスイーツも頂いたんですけどこれも旨かった!
しかもとんでもなくお手頃な価格なんですよ、ほんと。

 

 

 

谷口「そうなんです、だから僕は80歳まで働かなきゃならない!わはははは!」

 

 

 

谷口さん、本当に楽しそう。そして描いている夢も大きいんです。
そんな谷口さんの農園の名前はSmile farm
訪れる人を笑顔にするのは、この農園の皆さんの笑顔なのかなと思います。
谷口さん、お忙しいところ本当に有り難うございました!

 

 

 

 

 

 

 

 



続いて我々が向かったのは福島県南相馬市です。
南相馬と言えば「相馬野馬追」で有名な場所。馬と所縁の深い場所です。
その南相馬で馬を活用した観光事業をされている方々にお会いしました。

 

 

 

 

 

 

 

 

すみません、いきなり高い所から…(笑)
いやぁ、でも街中を馬に乗って散策するって初めての体験で。
目線が高くなるのも、そして馬の振動もとても心地いいんですよね。
こちらでHorse Value代表理事、
神瑛一郎さんにお話しを伺いました。
神さんは幼い頃から馬術をやられていて、馬の社会価値を高めたい、
馬を使った事業をやりたいという想いが強かったそうです。

 

 

 

神「南相馬は野馬追の文化がある町ではあるのですが、
馬を使った観光サービスは僕が知る限りではありませんでした。
もともと馬を使った事業をやりたいと考えていたので、
南相馬でこうした活動を行うことも必然だったのかもしれません。」

 

 

 

そうおっしゃる神さんも2019年に地域おこし協力隊のメンバーとして移住された方です。
現在同じくHorse Valueの仲間である高田さんとの出会いも、
この事業を興すにあたり大きなきっかけとなったと言います。

 

 

 

神「高田も馬術競技をやっていて、彼はナショナルチームの代表でもあるんです。
もともと僕らは馬術をメジャーなスポーツにしたいという想いからスタートしていて、
その想いから馬を使った事業を始めようと考えました。
活動を通じて地域に何かを還元していきたい、
その事業を通じて様々な人がここに来て関係人口か増えて、結果的に町に還元していく。
ひいては地域の活性化につながる様にしたい、と。
南相馬の魅力を2つ挙げると、馬が文化として地域に根付いていること。
そしてもう一つは“人”です。チャレンジしようとする若者にとても理解があるんです。」

 

 

 

神さん達の真摯な姿勢は地域の方々にもしっかりと伝わったようで、
2021年から始めたこの事業も地元の多くの方に支持されているようでした。

 

 

 

神「僕自身が復興に役立ちたいのではなく、
僕らがやっているこの事業が復興に繋がればいいと考えています。」

 

 

 

そう力強く語る神さんは、現在26歳。
熱さが町を元気にする、その熱量が町の方に伝わって良いエネルギーとなる。
南相馬はこれからもっともっと面白くなるだろうな…、そんな予感すらしました。
因みに僕が騎乗したアンジェロ君はかつて中央でも活躍した競走馬。
今はお子さんでも乗る事が出来るとても優しいお馬さんです。

 

 

 

 

 

 

 

 

神「この子は人がとっても好きなんです。」

 

井門「ものすごく懐っこいですもんね。可愛いなぁ。」

 

神「でもあまり仕事が好きじゃなくて、早く仕事を終わらせようとするんです(笑)」

 

井門「馬によっても個性が全然違いますもんね(笑)」

 

 

 

Horse Valueにはもう一頭、ワタリンという馬もいます。
この2頭が活躍する「小高馬さんぽ」と森や海岸を散策する「トレッキング」を、
南相馬を訪れた際には是非楽しんでください。

 

 

 

 

 

 

 

 

続いては宮城県気仙沼市です。
気仙沼は何度訪れたか分からないくらい、僕らもお世話になった場所で。
町に入ると勝手に「帰ってきたなぁ」と感じてしまう土地の一つ。
今回お話しを伺ったのは、
震災をきっかけにボランティアとして気仙沼に来た加藤拓馬さんです。
現在一般社団法人「まるオフィス」の代表理事を務めていらっしゃいます。

 

 

 

井門「加藤さんはいつ気仙沼にいらっしゃったんですか?」

 

加藤「震災直後にボランティアとして来ました。
実はその時大学を卒業するタイミングで、就職も決まっていたんです。
でもボランティアとして気仙沼で活動していたら、
このまま東京でネクタイ締めて仕事して良いんだろうかって考えてしまって。
結局先方に頭を下げて内定を辞退して、そのまま気仙沼に…。
なんだかんだでそれから11年いっぱなしです(笑)」

 

 

 

そんな加藤さんが現在行っているのは地元の中高生向けの学びの支援。
子供たちの『考える力』を伸ばす教育プログラムを作り、
教育という分野から気仙沼の町づくりに取り組んでいらっしゃるのです。

 

 

 

加藤「震災後この町に何が必要かを考えた時に、辿り着いたのは教育でした。」

 

井門「確かに教育こそ未来への種まきになりますもんね。
種まきをして、外で様々なものを吸収した子達がまた気仙沼の為に…ってなりますから。」

 

加藤「はい、実際にそうして外に出ていった子達がUターンして帰ってきているんですよ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

加藤さんは昨年子供たちに、震災について、気仙沼について質問した事があったそうです。
その時に彼らから返ってきたのはこんな言葉でした。

 

 

 

加藤「気仙沼は震災直後のあの悲壮感漂う町から、絶えず変化を続けてきました。
新しいことが起き続けた町です、大人たちが頑張り続けた町です。
大人たちが本気で町づくりをやってきた10年です。
それを見てきたその子達も“だから私も将来町づくりに携わりたい”と言ってくれました。
本気でやってきたのが伝わったんだなって思いましたね…。」

 

井門「本当に頼もしいですね…。」

 

加藤「とは言え、まだまだこの町には課題が山積みです。
人口減少は止まりませんし、沢山の課題があります。
でも誤解を恐れずに言えば、課題があるからこそ良い学びがあるんだと思います。
地元の課題を学びに変えたい、そうして町を面白くしていきたいと思っています。」

 

 

 

頼もしいのは子供たちだけじゃない。
気仙沼にはこうした頼もしい大人たちが沢山いるのだ。
ずっとこの町を見てきた僕らは、それを十分に知っている。
きっと本気の種まきはまだまだ終わらない。
そしてこの種まきは大きな大きな花を咲かせるに違いないのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

この旅の最後は岩手県陸前高田市です。
昨年陸前高田を訪ねた際、八木澤商店の河野さんがこんなことを仰っていました。
『今年は陸前高田で凄い花火大会が行われる予定ですよ』と。
そしてその仕掛け人がなんと移住者の方だったのです。
三陸花火大会実行委員長、浅間勝洋さんにお話しを伺いました。

 

 

 

井門「浅間さんはいつ陸前高田にいらしたんですか?」

 

浅間「移住したのは2019年ですが、もともと父の実家が陸前高田で。
震災後もボランティアで陸前高田には何度も足を運んでいたんです。
なのでいつかこっちで何かしたいな、とはずっと思っていました。」

 

 

 

それが形となったのが震災から10年となった昨年、2021年でした。
同じくボランティア作業で知り合った方の中に花火師さんがいらっしゃり、
この陸前高田の空の上に大輪の花を咲かせることとなったのです。

 

 

 

浅間「花火師さんとの出会いも奇跡でしたし、
その出会いがなければこの企画もなかったかもしれませんね。」

 

井門「そうでしたか…ボランティアで町の為に頑張った花火師さんが、
その町で自分が手がけた花火を上げるって…感慨深かったでしょうね…。」

 

 

 

それまでは被災地で花火と言うと『追悼』や『鎮魂』の意味合いが強かったという。
数多くの尊い命が失われた震災、それも当然と思う。

 

 

 

浅間「ところが今回の花火大会をやってみると、純粋に笑顔が多かったんです。
その笑顔を見た時に“やって良かったな”と思いました。」

 

井門「そうでしたか…。じゃあ喜びも特別でしたね。」

 

浅間「いや、その笑顔を見た時に大変だなと思いましたよ。
これは一回で終わらせられない、やり続けなきゃいけないなって(笑)」

 

 

 

こうして無事に1回目の花火大会が行われたわけですが、
当初は心配の声も上がったそうです。

 

 

 

浅間「地元の皆さんから『本当に出来るの??』って。
いえ、僕も全く想像出来ていなかったですから。
それで最初は4000発を打ち上げる予定だったんですけど、
僕らも出来る限り多く打ち上げたいってクラウドファンディングなどで募って。
そしたらいつの間にか1万6000発になってました(笑)」

 

 

 

 

 

 

 

 

井門「今年も勿論行われるんですよね?」

 

浅間「そうですね、4月29日と10月8日の2回やります。
基本的には何発上げるか発数は言ってないんですけど、
大きい玉が打ち上がることを楽しみにしていてください!」

 

 

 

浅間さんは花火大会を通じて陸前高田の魅力を伝えたいと仰います。
花火大会が大きくなれば多くの方が陸前高田に足を運ぶ。
そうすれば陸前高田のファンが増えていく、と。

 

 

 

浅間「ここは打ち上げ場所も観覧場所も広大です。
ですから一度だけではなく、二度、三度と来てまたそれぞれの楽しみ方をして欲しいですね。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

震災から11年が経ちますが、冒頭に書いた通り年月は節目にはなりません。
それでも11年が経つと町の姿も人の気持ちも少しずつ変化していきます。
震災発生当時、スコップ一本、泥のかき出しから始まったのが被災地の復興です。
あれから11年が経ち、あの時スコップ一本で復興のお手伝いを始めた方々が、
いま「かつて被災地と呼ばれた町」の町づくりを担っているんです。
それはきっと、これからの10年を見据えて。

 

僕らも何度もお邪魔していますが、それは東北の町が、人が魅力的だからです。
今回お話しを伺った移住者の方々も口を揃えて仰います、「人が魅力なんです」と。
コロナが終息して、旅に出られるようになった暁には、
是非東北の町に出掛けてそこに暮らす皆さんに話しかけてみてください。
町の飲み屋で隣り合った地元の方と話してみてください。
そうすればきっとその町が好きになるはずです。また来たくなるはずです。
もしかしたらその方だって移住者かもしれませんしね。

 

コロナの影響もあり、観光客の数はどこも激減しています。
だからこそコロナが明けたら沢山の方に遊びに行って欲しい。
是非これまでと同じ様に、これからの東北も見守り続けて頂きたいと思います。

 

川俣町、南相馬、気仙沼、陸前高田の皆さん。
今回もお世話になりました!また会いに行きます!
それまでどうか、お元気で。