若者が受け継ぐ東北沿岸の伝統芸能|旅人:井門宗之

2023-03-02

井門「オープニングはご無沙汰しています、で良いんじゃないですかね。」

 

吉武「そうだね…一年ぶりだし、スペシャルだからね。」

 

永尾「僕らはずっと東北の取材を続けてきたからね。そうしよう。」

 

井門「KIKI-TABI〜2 Thousand Miles〜スペシャル!
ご無沙汰しております!旅人の井門宗之です!」

 

 

 

 

オープニング

 

 

 

 

僕の職業はラジオパーソナリティーでありナレーターなんだけど、
『旅人の井門宗之でございます!』がなんだかやっぱりしっくりきてしまう(笑)
そしてそんな風に自己紹介出来る番組が戻って参りました!

 

皆さん、キキタビですよ!キキタビが今年も戻って参りました!
旅のメンバーはキキタビ東北班(と言っても過言ではない)、
作家のミラクル吉武さん、そしてDの東北の魅力伝道師、永尾さんです!

 

オープニングは快晴の三陸鉄道宮古駅前。
この日は本当に天気も良くて、土曜日の朝という事もあって人は少なかったけど、
空気が凛と澄んでいてとても気持ち良かったのです。
振り返れば何度この場所でオープニングやエンディングを収録しただろう。
風が強くて物陰に隠れながら収録したこともあったっけ。

 

宮古も勿論12年前の震災で甚大な被害を受けた町だ。
しかしあれから12年、もう干支もひと回りです。
今の綺麗な駅前の姿からは震災時の姿は想像も出来ない程の年月が過ぎました。
当たり前の様に三陸鉄道の車両が停まっている事が想像出来ない時期もあったんです。

 

これまで僕らは多くの縁を繋いで東北沿岸の取材を続けてきました。
今回の取材とは関係なくても、かつて瓶ドンの取材でお世話になった
「すみよし」の宇都宮さんには今回も宮古の美味しい海の幸を味わわせて頂きました!
(宇都宮さん、有り難うございました!)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一年ぶりのKIKI-TABI〜2 Thousand Miles〜、
今回のテーマは『若者が受け継ぐ東北沿岸の伝統芸能』。

 

井門「そう言えばこういったテーマで沿岸を巡った事はなかったですね。」

 

吉武「確かに、珍しいかもしれないね。」

 

永尾「でも東北沿岸には歴史ある伝統芸能が沢山あるんだよ。
まずはこの宮古に伝わるお神楽から取材しよう。」

 

宮古に伝わるお神楽とは『黒森神楽』であります。
なんと三陸には2000を超える郷土芸能の団体があるとされていて、
なかでも「神楽」は海の安全祈願と娯楽の一つとして特に愛されてきたとか。
黒森神楽は国の重要無形民族文化財に指定される歴史あるお神楽の一つ。
今回は黒森神楽保存会の会長、松本文雄さんにお時間を頂きました。

 

 

 

松本「黒森神楽の歴史は400年と言われていますが、文献で残されているのは400年。
でも700年前の獅子頭があったりして、本当はそれ以上の歴史があるんだと思います。」

 

井門「神楽団のメンバーはどれ位いらっしゃるんですか?」

 

松本「大槌から岩泉町までメンバーがいて、神楽師は全部で15人。
年齢は20代~80代ですね。神楽に惹かれた指折りの人が集まってくるんです。」

 

 

 

 

 

 

 

 

数百年の歴史の中で受け継がれてきた黒森神楽だったが、
12年前の震災ではやはり大きな被害を受けた。

 

松本「通信も途絶えてね、どうにも分からない状態だったから…。
でも当時たまたま獅子頭は震災を免れて。
その獅子頭を預かっていた人も漁師だったんだけど、当時海に出ていたんです。
連絡がつかない中で、
それでもご家族は『ウチは神様をお預かりしてるんだから大丈夫』って言っていた。
そしたらその本人、海からちゃんと生還してきたんですよ。
しかも戻ってくる途中で2人の人の命を助けてね。」

 

 

 

今も使われている獅子頭は、まさにその時の物だそうです。
人的、物的被害も少なく、震災をなんとか乗り越えた黒森神楽ではありましたが、
この3年のコロナ禍ではやはり不自由な思いをされていました。

 

 

 

松本「コロナになって2年休まなくちゃいけなくなって。
それでも休んでいても仕方ない、今年はなんとか感染対策もしてやってみっぺ!って。」

 

 

 

今年1月に再開された巡行にはおよそ200人もの人が集まった。
その姿に松本さんはこう感じたそうです。

 

――やってみると皆が待ってる。とにかく頑張って乗り越えていこう。――

 

25歳から黒森神楽を始めた松本さんも今年で75歳。
50年のキャリアを迎えようとしている。

 

 

 

松本「年齢によってやる事は変わってくるんです。だからずっと出来る(笑)
やっぱりね、踊りと音の駆け引きが一番楽しいんだよ。」

 

 

 

そう言って朗らかに笑う松本さんの顔がとても素敵でした。

 

―昔はね『山の神』が一番の花形だったんだ。
演目で酒を飲むからね、みんな酒が飲めるってんで一番人気だったの(笑)―

 

舞う喜び、演じる喜び、みんなで分かち合う喜び。
神への祈りは故郷への祈りでもあるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

続いて我々が向かったのは大槌町にある城山虎舞会館
ここで待ち構えていたのは…。

 

 

 

 

 

 

 

 

菊池「ははは(笑)迫力ありますよね!小さい子は泣いちゃうんです。」

 

 

 

笑顔で我々を迎えてくださったのは大槌城山虎舞の総会長、
菊池忠彦さんです。

 

井門「虎頭、よく見るとそれぞれ表情が違いますね。凄い迫力だなぁ…。」

 

菊池「これは顔の部分は紙のお張り子で、耳は長靴の一部分を使ってるんですよ。」

 

井門「本当だ!よく見ると分かりますけど、舞っている時は全然分からないでしょうね。」

 

 

 

岩手県沿岸に伝わる郷土芸能『虎舞』。
そのルーツは江戸時代まで遡ると言います。

 

 

 

井門「そもそもどうして“虎”だったんですか?」

 

菊池「諸説あるんですが大槌に伝わるもので言うと、
この地にいた豪商の船が江戸に行った際、
その船の乗組員が江戸で千里ヶ竹の虎退治という人形浄瑠璃の演目を見たんですね。
その演目に感動した乗組員が、それを故郷に持ち帰って見様見真似でやってみた。
それがいつの間にか、神様への祈りになっていったと。」

 

井門「若い子達にとってもこの虎舞で舞う事はある種のステータスなんでしょうね。」

 

菊池「それはあると思います。勢いがあって勇壮で威勢の良さが見所ですから。
そういう所に惹かれるんだと思いますよ。」

 

 

 

そう仰る菊池さんの団体はメンバーの3分の2が20代~30代なんだとか。
そして虎舞の間口を広げる為に、伝統を継承していく為に、
小学校で舞を教え、少しでも興味を持ってもらう取り組みもされているそうです。

 

 

 

井門「震災から12年になりますが、大槌も甚大な被害を受けました。
虎舞はその当時いかがでしたか?」

 

菊池「メンバーも大変な被害を受けました。家族を亡くしたメンバーもいます。
でも一人でいるよりも皆(メンバー)で集まっていた方が、
皆で活動していた方が安心すると言って…。」

 

井門「そうでしたか…。」

 

菊池「震災後に虎舞やりましょうよ!って言ってきたのは当時の若い子達だったんですよ。
むしろ上の世代の背中を押してくれたのが若いメンバーで。
そうだ、この写真を見てください。2人とも当時18歳とか19歳とかで。
改めてここからまた始めるんだって、強い気持ちを感じますよね…。」

 

 

 

 

 

 

 

 

年齢で言うと今の20代のメンバーは震災当時小学生。
そんな若手の姿を、菊池さんはどう見ているんだろう。

 

 

 

菊池「これが凄いんです。郷土愛が我々なんかよりもずっと強い。
僕らが若い頃よりもよっぽどしっかりしてるんですよ(笑)」

 

井門「それは多感な時期に町が復興していくのを見ていたからじゃないですか?
大人たちがしっかり旗を振って頑張ってきたのを近くで見ているから。」

 

菊池「そうなんですかね…。でも若い子のそんな姿はとても頼もしいですね。」

 

 

 

大槌の方々にとっての虎舞は、生活の一部と菊池さんははっきり仰いました。
震災以降、大槌は仕事も随分減っていると。
そんな状況で泣く泣く大槌を出ていく子たちもいると。
それでも虎舞があるからと戻ってくる子たちもいるそうです。
そんな若い世代を『頼もしい』と笑う菊池さんの表情がとても素敵でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

永尾「やっぱりアレですかね、大槌にいると自然とタイガースファンになっちゃう?」

 

菊池「…えっ!?」

 

永尾「これだけ虎に囲まれていたら…ねぇ、タイガースファンに。
そりゃなっちゃいますよね。うん。」

 

菊池「いや…それは…(笑)」

 

井門「あんたが熱狂的なタイガースファンだからって、巻き込むんじゃないよ!(笑)」

 

菊池「でもこの辺に子供は名前に『虎』が入る子が多いですよ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

大槌から移動すること約100km。
続いて我々が向かったのは宮城県の南三陸町です。
快晴の南三陸も海がキラキラと輝いていてね。

 

 

 

井門「今日だったら楽しくミナチャリ出来るぞ!」

 

吉武「あんときは寒かったからねぇ。」

 

永尾「井門君、文句しか言ってなかったからね(笑)」

 

井門「ギャフン。」*かつての旅日記参照。

 

 

 

南三陸でお話しを伺うのは行山流水戸辺鹿子踊について。
お話しは保存会会長、村岡賢一さんです。

 

 

 

井門「鹿子踊とはどういった意味合いで舞われるものなんですか?」

 

村岡「歴史は江戸時代からと言われておりますが、
演目の基本は供養から始まるんです。供養と感謝から始まっていく。
そして子孫繁栄に繋がっていくんです。」

 

 

 

この行山流水戸辺鹿子踊の基本が、実は震災直後に地域の方々の心を打ったのだそうです。

 

 

 

村岡「震災直後に被災者を励ますために鹿子踊をやって欲しいと言われたんです。
でもその時はメンバーも全員が被災していてそれどころではなかった。
なので当時の中学生のメンバーが避難所で踊りを披露したんです。
そうしたら集まった方々が涙を流してその踊りを見てくださって…。」

 

井門「そうでしたか…。」

 

村岡「演目の意味と合致したんでしょうね。」

 

井門「あっ…供養から始まる…。」

 

村岡「はい。」

 

 

 

そして鹿子踊は子孫繁栄へと繋がっていくのだが、
若い踊り手への継承というのはどうなっていくのだろうか。

 

 

 

村岡「実は今日もさっき5年生8人に教えてきたんですよ(笑)
小学生に教えるのはもう平成4年からやってるんです。
若い世代と言えば、僕らなんかは若い世代につつかれるんですよ!
“もういい(引退)んじゃないですか!?”って(笑)」

 

 

 

そんな風に笑う村岡さんはなんだか嬉しそうで。

 

 

 

村岡「若い世代を見ていて、頼もしく思ってます。
元気を貰ってますから!

 

 

 

 

 

 

 

 

震災による津波によってこの地域も甚大な被害を受けました。
人がいなくなってしまったことで、津波前にあったコミュニティはなくなってしまった。

 

 

 

村岡「秋にはお祭りをして皆で酒を飲んでね、
そういうコミュニティがなくなってしまいました。
支えてくれる組織や団体も少なくなってしまったんです。
でもね、小学校で教えている内は無くならないと思ってます!(笑)」

 

 

 

 

 

 

 

 

永尾「今回の取材の最後は僕の和佳奈ちゃんね。」

 

井門「なんですか(笑)“僕の”って!」

 

永尾「和佳奈ちゃんはね、成人式にも行ってるから。」

 

吉武「凄いな、もう親戚のおじさんじゃないですか!(笑)」

 

永尾「でも初めて会ったのはもっと前だったからね。」

 

 

 

永尾さんが和佳奈ちゃんと名前を出しているのは、
福島県浪江町の請戸地区に伝わる田植踊の踊り手、
横山和佳奈さんです。
我々はその田植踊が奉納されていた苕野神社の境内に向かいました。

 

 

 

永尾「あっ、あそこにいるの和佳奈ちゃんだ。おーい!(タッタッタッ)」

 

井門「さすが、動きが良い。」

 

吉武「まさに。」

 

 

 

こうして無事に和佳奈さんと合流した我々は、
田植踊にとって、和佳奈さんにとって思い出深い苕野神社跡でお話しを伺いました。

 

 

 

井門「ここは…仮のお社がありますが、社殿が建て替え中なんですね?」

 

和佳奈「はい、来年度中に新しいお社が出来る予定なんです。」

 

井門「和佳奈さん、失礼ですがいまお幾つで、何歳から踊っていらっしゃるんですか?」

 

和佳奈「はい、いま24歳、今年25歳になります。
田植踊は10歳くらいから踊っています。田植踊自体はいま若い世代が踊っていますが、
震災前は請戸小学校の4年生~6年生の女子が踊っていたんです。」

 

 

 

そんな和佳奈さんも震災発生時は12歳。
あれから12年が経つという事をどんな風に感じているのだろうか。

 

 

 

和佳奈「12年と聞くと凄く長く感じますけど、体感としてはあっと言う間で。
ここ(苕野神社)に来ると震災前はこんなだったな…って思い出します。」

 

 

 

 

 

 

 

 

今の苕野神社にはお社は無く、新しいお社が建つ場所には盛り土がされています。
地震による津波の影響で様々な物が流され、
そして原発事故の影響でここで暮らす方々の生活はバラバラになってしまいました。
それでも震災から6年が経った2017年には浪江町の一部が避難指示解除となり、
その時に田植踊が7年ぶりに地元で奉納されたのです。
和佳奈さんもその時の踊り手の一人。

 

 

 

 

 

 

 

 

和佳奈「その時は6人しか集まらなかったんですけど、
実は田植踊は5人じゃ踊れなくて。ですからギリギリの人数だったんです。
でもその時はとにかく“嬉しい”の一言でしたね。」

 

 

 

田植踊を『地元の人の心を繋ぐもの』と話す和佳奈さん。
原発事故で皆が離れ離れになってしまったからこそ、
“郷土に根付く伝統行事がそこにあるという事”が大切な事なのだ。
そんな和佳奈さんは現在、隣町の双葉町にある、
「東日本大震災・原子力災害伝承館」で働いていらっしゃいます。

 

 

 

井門「どうして伝承館で働こうと思われたんですか?」

 

和佳奈「震災を経験して、あの震災の事を伝え続けていきたいけど、
仕事には出来ないなと思っていたんです。でも伝承館が出来るというのを聞いて、
履歴書を書いて駆け込みました。“ここで働かせてください!”って(笑)
伝承館であれば震災の事を伝え続けられるし、田植踊の衣装も展示されているんですよ!」

 

 

 

ずっと請戸に愛着があると話す和佳奈さん。
その請戸に伝わる田植踊を今は自分より若い年代の子が踊っているのを見て、
請戸以外の子が踊っているのを見て、
頼もしく“よくぞ踊りたいと思ってくれたな…”という気持ちになるとか。
10歳から踊る和佳奈さんも、もうその歴は15年のベテラン。
震災前からこれまでの請戸を見てきた和佳奈さん、最後にこんな事を話してくださいました。

 

 

 

和佳奈「新しい施設も出来て、地元の人にも勿論帰って来て欲しいけど、
沢山の人にも来て欲しいです!」

 

 

 

 

 

 

 

 

永尾「しっかりしてるでしょ!?俺の和佳奈ちゃん。」

 

井門・吉武「だからっ!!

 

 

 

今回のKIKI-TABIは、恐らく初めて沿岸地域の伝統芸能を取り上げました。
サブタイトルには『若者が受け継ぐ』とありましたが、
伝統芸能があるからこそ地域の絆が繋がっていくのかなとも思ったり。

 

元々は大漁祈願、五穀豊穣の祈りの為の郷土芸能、伝統芸能だったものが、
あの震災を乗り越えて残った時に、こんなにも人の絆を強くしてくれるものなんだと。
そんなことを今回の旅で強く感じました。

 

それぞれのお祭りの時期はもちろん異なりますが、
是非皆さんにも今の沿岸の街並みと一緒に、
間近で郷土のお祭りを、そして人の絆の強さを見て頂きたいなと思います!