開府から500年の甲府めぐり|旅人:佐藤千晶

2019-10-31

こんにちは!旅人の佐藤千晶です。
今回、旅をするのは、今年、節目の年を迎えた甲府の街。

 

1519年に武田信玄公の父、武田信虎公が
現在の武田神社周辺に館を構えてから、今年で500年。
山梨県甲府市は開府500年を迎えます。

 

旅のスタートは、その甲府の礎を築いた『武田信虎公之像』が
どーんと構えるJR甲府駅の北口からです。

 

『武田信虎公之像』は、開府500年の事業として去年12月に設置されました。

 

 

 

 

 

 

 

 

駅前の広場ではイベントの準備をしていたり
街中には「開府500年」と書かれたポスターがあるなど
この節目の年を一つのきっかけに
街全体を盛り上げていこうという想いを感じました。

 

実は私、4月から毎週仕事で甲府に通っていて、
「もっと甲府のことを知りたい!」と、期待に胸と鼻を膨らませながら、
まずは、武田信虎公にご挨拶!
いざ、歴史散歩の旅に出陣!!!!

 

まず向かったのは、今年4月にオープンした信玄ミュージアム。
甲府駅から、真っ直ぐ伸びた約3kmの道をあがったところにあり、
蔵造りの真新しい建物が目をひきます。

 

信玄ミュージアムの目の前には武田信玄公を祀った武田神社があり、
お濠や整備された庭園も広がっていて、城下町の風情が漂っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

館長の佐々木さんに、案内をしていただきました。

 

信玄ミュージアムが建っている場所は、
武田信虎公、信玄公、勝頼公の3代が過ごしたゆかりの地で、
当時の暮らしぶりを感じる資料や遺跡、出土品などを展示しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

華々しい武将、戦のイメージの強い武田信玄公ですが、
教養が高い方だったようで、文化面でもいろんなものを残しているほか、
治水技術、土木の面で信玄堤というものを築いたりしていて、
非常に内政面で功績があったと改めて気付かされました。

 

「信玄ミュージアムが、歴史に興味をもっていただく、
きっかけづくりの場としても機能したいと思っています。
知らない方でも、分かりやすい展示内容になっていますよ」と、
佐々木館長は話してくださいました!

 

では、さっそく案内していただきます。

 

まず、常設展示室の入り口には、
『武田氏館』の領主たちのパネルが展示されていて、
どんな功績をあげたのかが、本人の絵とともに簡単にまとめてあります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

また、特別展示室には、当時の館の全貌が分かる展示や、
武田信玄公が乗っていたかもしれない馬の全身骨格などの出土品など、
『武田氏館跡」から見つかった器や調度品の数々が展示されていて、
「実際、これを使って生活していたのかな」などと、
想いを馳せながらぐるりと館内をまわりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、映像展示室では、
約10分にまとめた武田家と甲府の歴史を上映。
甲府のまちを散歩する前に、この信玄ミュージアムに寄れば
とても勉強になり、より街歩きが楽しめます。

 

 

 

 

 

 

 

 

信玄ミュージアムを見学したあとは、武田信玄公を祀っている武田神社へ。
ここは、武田氏三代、信虎公、信玄公、勝頼公が、
60年余りにわたり生活していた住居武田氏の館「躑躅ヶ崎館」があった場所。

 

 

 

 

 

 

 

 

境内に入って、参拝をしようと手を清めようとむかうと
そのお手水台も武田の御紋「武田菱」!!
周りを見てみると、いたるところに武田の御紋「武田菱」があります!!!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

権禰宜の佐野浩一郎さんに、武田神社を案内していただきました。

 

佐野さん:「創建されたのは100年前。
多くの武運をあげたことから、勝負事に勝つでもよし、己に勝つでもよし・・・
勝運のご利益があるといわれています。」

 

そのご利益を求めて武田信玄公に思いを馳せようと
全国各地から参拝客が集まるそうです。

 

令和元年は、甲府の開府500年、そして武田神社ご鎮座100年・・・
と今年はお祝い事が重なり、

 

 

 

 

 

 

 

 

この日もひっきりなしにたくさんの人が集まっていました。

 

佐野さん「当時をしのぶ、当時のまま現存しているものも
境内にはたくさんの残っているんですよ。」ということで、
まず向かったのは、武田神社の宝物殿。

 

ここにはいろんなお宝が展示されていて、
武田家に伝わる宝物、甲冑や刀剣、肖像画などがずらっと並びます。

 

 

 

 

 

 

 

 

中でも印象的だったのは
歯に牙が生えている武田信玄公の猛々しい様子が伝わる肖像画や
あの有名な武田信玄の軍旗、本物の風林火山の孫子の旗!!!!!
ところどころ穴があったり、文字は薄くなっていますが、
「風林火山」の文字がしっかりと確認できます。

 

想像以上に大きく、長さは4メートルほど。
よくぞ現代に残っていたなあ・・・まさにお宝。歴史を感じさせる軍旗でした。

 

また、境内には、当時から残るお濠や石垣、
武田信玄公も利用したであろう古い井戸、
延命長寿や無病息災のご利益があるとされる「姫の井戸」があります。

 

「姫の井戸」は武田信玄公の娘が誕生したときに産湯に使ったとされる井戸。
今も、こんこんと湧き出ていて、参拝した方や地域の方々が
飲料水として、大切にいただいている「ご神水」だそう。

 

わたしも一口いただくと・・・
まろやかでやわらかい口当たり!
容器を持参して、持ち帰ることもできるんです。

 

私も500mlのペットボトルに入れて、お家でコーヒーにして
旅の思い出に浸りながら、美味しくいただきました。
(注:持ち帰る場合は煮沸して飲んでほしいとのこと)

 

 

 

 

 

 

 

 

「姫の井戸」のそばには「武田水琴窟」というものが?
岩にささっている竹に耳をつけると・・・
キンキン・・・という琴のような涼やかな音が聞こえるのです。
なんとも穏やかで凛とした気持ちになりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

続いて向かったのは甲斐善光寺。

 

善光寺といえば、長野県の善光寺が有名ですよね。
私も旅行で長野県の善光寺には行ったことがあるのですが、
山梨県の甲斐善光寺と何か関係があるのでしょうか・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

甲斐善光寺執事の酒井玄暁さんに案内していただきました。

 

酒井さん:「今から460年前、川中島の合戦に際して、
長野善光寺の焼失を恐れた武田信玄公が
ご本尊の善光寺如来や仏像、仏具のいっさい全部を、
甲斐に移して創建されたのが甲善光寺の歴史のはじまりです。」

 

国の重要文化財に指定されている立派な本堂(金堂)に入ってみると、
天井にかかっている幕に、武田菱と葵の御紋が・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

酒井さん:「武田信玄公が甲斐善光寺を作った方、ということで武田家の御紋、
そして、江戸時代、甲斐の地が徳川家の直轄領であり、
徳川家の初代から14代までの将軍のお位牌も安置されているということで、
徳川家の御紋が入っております」
幕からも歴史を垣間見ることができますね。

 

さて、お話を伺っていると、観光客の方が何やら天井を見上げながら
本堂の中で手をたたいています。

 

酒井さんに促され、床の足跡マークの上で私も手をたたいてみると・・・
パン、パン、パンッ、おお、反響して本堂(金堂)全体に音が響きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

これは、「鳴き龍」というそうで、本堂(金堂)の天井には巨大な龍が描かれています。
床にある足形の場所から、手をたたくと
吊り天井の構造によって多重反響現象による、共鳴が起こる仕組みになっています。

 

さらに長野の善光寺にもあった「お戒壇巡り」もできるということで
体験させていただくことに。

 

本堂の下には漢字の「心」をたどる「お戒壇巡りがあり、
鍵を触れることによって御本尊様ご縁を結べるといわれています。

 

「いってらっしゃい」と酒井さんのほほえみを受けながら、
すでにほのかな灯りしかない暗闇の階段をそろりそろりと降りると、その先は闇。
この闇の中を前に進まなければなりません。

 

 

 

 

 

 

 

 

真っ暗な部屋の中を壁づたいに歩いていきます。
文字通り「真っ暗」。何も見えません!

 

お化け屋敷など真っ暗なところが苦手な私。
スリルのあるドキドキさ、とはまた違うのですが、
見えない怖さで慎重に忍び足かつ、へっぴり腰で歩きます。

 

ようやく鍵らしきもの(見えない)にたどり着いたて、
ガチャガチャと・・・

 

外に出て光がみえたときにはほっとしました。
光のありがたみも感じましたよー!
お戒壇巡りをすると「生まれ変われる」「幸せになれる」と言われています。
武田信玄公ゆかりのお寺で、
なんだか私の心にもほのかな勇気をいただけた気がしました。

 

さらに、甲斐善光寺には、
川中島の合戦で使われた実物の陣太鼓があるんです!

 

 

 

 

 

 

 

 

直径1メートルはありそうなおおきな太鼓で、
「川中島の合戦の陣太鼓」と書いた札が置いてあります。

 

なんとこの太鼓は、川中島の合戦で実際に疲れていたというのです!!!
もとは朱色だった太鼓の叩く面は、中央のところは剝げて白くなっています。
合戦前に力強く叩いてきたんでしょうね・・・

 

私も実際叩かせていただくと・・・
ドンドンドンッ!!!
お腹に響く重低音が。

 

あの歴史的な一戦で、
この太鼓の音があの合戦で鳴り響いたと思うと感慨深いですね。

 

 

最後に向かったのは、舞鶴城公園、甲府城跡です。
JR甲府駅から徒歩3分の場所にあります。

 

 

 

 

 

 

 

 

武田氏の滅亡後、1590年ごろに築城された甲府城。
豊臣秀吉の命によって築城され、豊臣秀勝、浅井長政が城主を務めました。
関東の徳川家康に対抗するための重要な戦略拠点として築かれたそうです。

 

甲府城御案内仕隊の飯島信之さんに案内していただきました。

 

飯島さん:「甲府駅近くに残っている石垣からもわかるように、
甲府駅の北口の広場も一帯がお城の中だったんです。
舞鶴城公園という愛称がついているのは、
愛宕山から見たときにちょうど鶴が舞っているようにみえるんです。」

 

飯島さん:「甲府城の一番の特徴はここ自身が安山岩の岩山だったんです。
だから大きい岩が多く、贅沢に岩を使えたんですよ。
江戸城は伊豆半島から大阪城は瀬戸内の小島から岩をもってきたことを考える、
とても効率がいいですよね。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

甲府城の石垣は、
よく見るとさまざまな時代に作られた跡をはっきり見ることができます。

 

まずひとつは「石の積み方」。
割っただけで加工していない大小の石が積まれている石垣は「野面積み」といいます。
見た目の美しさ、というより、戦国時代「守る」ことに徹底していたことが
積み方でも分かります。

 

時代が平和な時代にうつってくると、岩の形や大きさが整えられ、
見た目も意識する積み方に変わったとか。

 

また、石の割り方は今も昔も変わりなく「矢穴」を数カ所開け、そこに力を加える技法。
その「矢穴」が残る岩もたくさん見られます。

 

まるで恐竜がかじったような歯型みたいな「矢穴」
昔であればあるほど、矢穴の幅が広く矢穴の数も多くなっています。
技術の進歩した現代に近づいた矢穴は、細く小さい穴でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

天守台の石垣には、一つの石を二つに割った「兄弟石」もいくつかあります
「矢穴」が合致するような形で2つの石が隣り合わせになっているので
見つけることができました。

 

石垣をみても、歴史が分かるんですね。

 

天守があったとされる天守台までの登ると、
3000メートル級の富士山、北岳などが眺められ
360度山に囲まれている雄大な甲府の自然を感じることができます。

 

天守台から見えるところは、ほとんど城下町だったそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

甲府城について案内してくださった飯島さんは、
「甲府城は武田家の築城ではありませんが、地理的にも重要な拠点で、
後世の豊臣家、徳川家も利用してくれました。
山梨のまちの人にとっては心のふるさと」とおっしゃっていました。
その表情がとても柔和で嬉しそうでした。

 

この旅で出会った皆さんのお話する様子や表情から
武田家やこの甲府のまちを愛している様子がひしひしと伝わってきました。

 

開府から500年の甲府めぐり。
最後は南口の武田信玄公の像の前で旅のおしまいです。

 

武田信玄公の像は温かくも険しくも感じるまなざし、迫力あるたたずまいの像です。
この旅で信玄公のことをより知ることができて、なおさらそのように感じます。

 

 

 

 

 

 

 

 

今回の旅で甲府のまちは、武田信玄公の活躍、
武田信虎公の礎があってこその甲府のまちの発展あり、ということ、
そして豊臣家、徳川家にとっても重要な役割を担っていたまちだったということ、
歴史散歩をして、より甲府のまちに近づけた気がしました。

 

これからも毎週甲府には通うので、
旅を続けて、これからも魅力を発見、
甲府のまちを深く知っていきたいと思います。

 

甲府大好き!!(すっかり武田信玄公のファンになりました!笑)