飛騨の小京都!岐阜県・高山の旅|旅人:村田綾
2019-02-20
飛騨牛の美味しさを知って、また一つ大人になった!旅人の村田綾です。
さぁ!前回に引き続き、佐々木さんと河合さんと一緒の旅の始まり♪
今回は、高山駅からスタート!!!
私が想像していた高山のイメージは、昔懐かしい街並みと、高山祭の情緒あふれる雰囲気。
だったのですが・・・
高山駅に降り立ってみてビックリ!
と~っても近代的。
駅の改札に向かうまでのエスカレーターの周りや、観光案内所もガラス張りで解放的。
それもそのはず!実は高山駅は、2017年に新駅舎なってリニューアルされているんです。
歴史ある物を大切にしつつ、新しい物も取り入れていて素敵な空間でした。
高山市は市町村面積が全国で最も広く、中でも中心市街地は、江戸時代以来の城下町・商家町の姿が保全されていて、その景観から「飛騨の小京都」と呼ばれているんです。
その為、街を散策しながら歴史や文化に触れる事が出来るという事で、日本のみならず世界各国から観光に訪れている方が大勢いらっしゃいました。
街並みが素敵だから、テクテク歩いているだけでも楽しいけど♪
まずは!街を散策する前に、高山の成り立ちや継承されている文化を知る為に「飛騨高山まちの博物館」へ。
ここでお話をお伺いしたのは・・・学芸員の冨田晴菜さん。
飛騨高山まちの博物館では、14展示室にそれぞれのテーマに沿った展示がおこなわれています。
しかも!この展示室は江戸時代の豪商、矢嶋家と永田家の土蔵を活用しているんです。
確かによく見ると、博物館の入り口である大きな門を抜けると、右側と左側に立派な白い蔵が建って、それぞれの蔵の入り口には番号が振ってあります。
展示室はもちろん!昔からこの場所にあった蔵を見学できる楽しみもあって、私はいつにもなくキョロキョロしていました。
ちなみに、矢嶋家と永田家についてですが・・・
「矢嶋家」は、江戸時代の初期に近江から移り住み、木材や塩の商いをしながら「町年寄」として江戸時代を通じて商人町をおさめていたそうです。
そして「永田家」は屋号を「大阪屋」といい、明治初年には高山一の田地をもち、酒造りなどをしていたという事。
酒蔵にいたっては高山で最も大きな蔵の一つなんです。
外から見ても、中に入っても、とても立派でした。
14の展示室の中で私が気になったのは「城下町高山」の展示。
高山城と城下町の整備に始まる高山の街の歴史について、説明書きとともに写真などの展示がおこなわれています。
今の古い町並みがどのように出来て、今に受け継がれているのかを知る機会となり、ますます散策に行くのが楽しみになりました。
それから「産業」の展示ブースでは、時代ごとの主な産業や高山の経済を支えた基盤について、知る事が出来ます。
やはり、高山を語る上で切っても切り離せないのが「飛騨の匠」
飛騨の建築技術を都づくりに活用する為、時の中央政府が税を免じてまで貢進を義務付け、その律令制度によって木工職人として派遣していた人々、または優れた木工の美称でもあり万葉集や源氏物語にも追憶の匠として記されているほどなんです。
飛騨の匠の技術があったからこそ多くの建築物や、家具などの販売が盛んになり、今の時代にも伝統工芸として続いているという素晴らしい歴史。
今までも、言葉では聞いた事があったけど!
詳しく知る事で、ますます飛騨の匠に興味が出てきました。
それなら、実際に歴史ある建造物をみてみよう♪
という事で、向かったのは・・・「高山陣屋」
江戸時代、飛騨の国は幕府が直接管理する直轄領、いわゆる天領だったそうです。
そのお役所とされていたのが「高山陣屋」
立派な門構えをくぐると、時代劇に出てくるような大きなお屋敷が!
元々は、高山城主金森氏の屋敷でしたが1692年に天領になってから176年間、この場所で飛騨の統治が行われていました。
ここでお話をお伺いしたのは・・・「高山陣屋」の加藤昭宏さん。
中に入ると、とにかく広々としていて、空間にいるだけで不思議と江戸時代に生活されていた方々の姿が映し出されるかのようでした。
玄関の間、大広間、吟味処、白州、御役所、御用場、などなど、様々な場所を見させていただいたんですが・・・
何が凄いって、加藤さんの説明が分かりやすすぎて感動!!!
当時、どんな風に陣屋が使われていたのかはもちろんの事、各お部屋には昔ながらの工夫やしきたりが沢山あって、なんとなく見学していたら見逃してしまうような所までお話いただけたので、私は陣屋に興味津々。
まず驚いたのは、畳の縁。
よく見てみると、お部屋ごとに「縁に家紋の様な花柄がある物」または「無地で深緑の縁」さらには「縁がない畳」が存在していて、お部屋にいる人の位によって決められていたというからビックリ!
さらには、今でいう上座と下座を意識して作られている構造が多く、明確に分かれている事から時代背景をも感じる事ができました。
さらには、使用するお手洗いも立場によって様子が違うし、食べ物の作り方でさえも格差が。
江戸時代の縦社会っぷりを、まさか!陣屋から教えてもらえるとは思っていなかったので、本当に驚きの連続でした。
そして、建物には「飛騨の匠」の技がいくつも隠れていて、雪が多い地域だからこその屋根の作り方や、長持ちさせる為の手法など、昔の人の知恵や技術を心から尊敬しました。
結局、陣屋に興味が湧き過ぎて!予定していた以上に陣屋の中をご紹介頂いたんですが、時間が足りなかった。
もっともっと知りたい事もあったし、じっくり見て回りたくなっちゃったので、また必ず!見学に行きたいと思います。
自分で言うのもあれだけど・・・歴史ある建造物で、私がこれだけ興味をもつのは珍しいんですよ。(笑)
だから、相当!見る価値ありだと思います。
そんなふうに思わせてくださった加藤さんの授業を学生時代に受けていたら、私の人生は変わっていたのではないかと本気で思った時間でした。
高山陣屋を出て、近くにある「古い町並み」エリアへ!
私は初めて知ったんですが、城下町の中心であり商人町として発展した上町・下町の街並みを合わせて「古い町並み」と言われていて、地図にも「古い町並み」と記載されているんです。
道路の名称として認められているぐらいだから、間違いない!!!
情緒あるれる景色を楽しみながら、散策をする事にしました。
出格子のつらなる軒下には用水路が流れていて、その水の音が聞こえてくるのも、また風情があって素敵。
町家の大戸や老舗の簾が軒をつらね、この時期は屋根に雪が積もり氷柱も出来ていて、とっても美しい町並みでした。
酒屋さん、味噌屋さん、工芸品、雑貨屋さん、お土産屋さん、などに加え!
カフェや、食べ歩きの出来るお店も沢山あるんです。
せっかくなので、私も食べ歩きしたい!という事で・・・
絶対に食べたかった「飛騨牛の串焼き」をゲット。
口に入れた瞬間に、飛騨牛の旨味が広がって「きゃぁ~!幸せ~。」ってなりました。
お肉も柔らかいし、ずっと口の中に入れておきたいぐらい美味しかったです。
今まで食べた串焼きの中では、一番かもしれない。
飛騨牛の美味しさを知ってしまった私は、ますます飛騨牛を使った物が食べたくなり!
続いてゲットしたのは「飛騨牛コロッケ」
ほくほくのジャガイモと、飛騨牛のお肉の甘味が加わって、サクサクふわふわの触感がたまらなかったぁ~。
脂っこさもないし、何個でも食べられる魅惑のコロッケでした。
そして!ここまできたら、やっぱり・・・飛騨牛にぎりは食べないとねぇ~。
という事で、最後は私が虜になりつつある飛騨牛の本来の美味しさを堪能できる「飛騨牛にぎり」をゲット!
注文してから、お店の方が握ってくださって、色鮮やかで新鮮な飛騨牛をパクリ。
「いやぁ~~~~。とろける~~~~。」
もはや、お肉じゃないみたい。
焼いた時と同様にやわらかくて、噛めば噛むほど旨味が口の中に広がり、最高に美味しい。
食べられて本当に良かったぁ。
飛騨牛にぎりを食べている、佐々木さんと河合さんの幸せそうな顔が忘れられません。
それからね!食べ歩きはしなかったんだけど、私は「飛騨牛まん」をお土産に買って帰ったんです。
お家に帰って食べたら、これが!べら棒に美味しかった。べら棒に!(笑)
両親も一緒に食べたんですが、その時からずっと!
「飛騨牛まんが美味し過ぎたから、他の肉まんを食べられない。」って言ってます。
本当にオススメなので、是非!行った際にはお土産で買ってみてくださいね。
美味しもので満たされた後、最後に訪れたのは・・・「高山祭屋台会館」
高山祭りと言えば「高山祭の屋台行事」と「山・鉾・屋台行事」が平成28年にユネスコ無形文化遺産に登録された有名なお祭り。
春の山王祭りと、秋の八幡祭の2回を称して「高山祭」と言うそうです。
今回訪れた高山祭屋台会館は、秋の例祭が開催される櫻山八幡宮の境内にあるんです。
ここでお話をお伺いしたのは・・・高山祭屋台会館の学芸員、瀬木登美子さん。
今でこそ、日本三大曳山祭の一つにもなっている高山祭。
その歴史はとても古く、屋台は飛騨の匠の技術が駆使されていて、現在は11台の全てが国の重要有形民俗文化財に指定されています。
実際に、近くで屋台を見させていただいたんですが、その迫力と美しさは時間を忘れて見入ってしまうぐらい素敵でした。
館内には、時期に応じて4台の屋台と1台のみこしが展示されています。
入り口を入ってすぐの場所に、ひと際目立つみこしが!!!
金色に輝いていて、今までに見た事もないぐらいの重厚感。
文政年間に創造された前神輿が明治8年に焼失してしまい、明治21年から5年かかって創造されたそうです。
八角形の形と、金色に輝く優美な装飾は日本一と称されるほどでした。
見るからに重そうだけど・・・どのぐらいかというと、約2トン。
え?神輿ですよね?
2トンもあったら、担げないのでは?と疑問にも思うけど、担ぐ際には同じ背丈の人を大勢集めて心を一つに持ち上げていたそうです。
さらに!神輿の横には、これまた美しい屋台がズラリ。
高山祭の屋台の特徴は、隅々まで行きわたった細やかな気配り。
木工・塗り・彫刻・金具・織り・染め・絵画・人形という望み得る最高の形を作り出そうとしたところにあるそうです。
それぞれの屋台を上から下までじっくり見ていると、本当に細かい所にまで!作られた方のこだわりや技術が見受けられ、ここで改めて飛騨の匠の素晴らしさに触れる事となりました。
屋台に描かれている彫刻も、より立体的に見えるように工夫が施されていて臨場感もたっぷり。
使われている織物や染めに関しても、模様や色に強い思いや意図がしっかりと詰め込まれていて、見ているだけでも感動を覚えました。
これが、実際に動いていたら・・・
きっと、今見ている何倍も何十倍も!また違った感動があるんだろうなぁと想像して、お祭りにも来てみたくなりました。
高山の皆さんによって、大切に大切に保存されている屋台。
屋台会館では、屋台の劣化を防ぎ保護する為にも様々な工夫がされていて、館内の温度調節から、湿気対策、照明の当たり具合など、私達では考えもつかないような設備が整っていて、その中で屋台を大勢の方々に観ていただく為に尽力してくださっているそうです。
飛騨の匠を始め、高山の皆さんの屋台への愛が本当に凄い!!!
代々受け継がれたものを、今でも大切にしながら伝え続けてるのって本当に大変な事だからこそ、とても素敵ですよね。
これは、屋台が動いているところを見ないと私の人生終われない!
また、必ず!来るぞぉ~。と心に誓いました。
今回は高山を旅しながら美味しい物に巡り合って、懐かしい景色に触れて、ただただ歩いているだけでも楽しめる場所だったんですが!
やっぱり!「飛騨の匠」なくしては飛騨高山は語れないです。
もし、高山にお出かけになる事があったなら・・・
是非!建物の構造や、街中にある工芸品に必要以上に目を向けて欲しい。
飛騨の匠の知恵と心が、沢山見つかると思います。
個人的には、今までになく!その土地の歴史にとても興味を持つ事が出来た旅でした。
昔を生き抜いた人がいるから、今の私達がいる。
その事を改めて強く感じる事が出来て、飛騨牛の美味しさを知った事に加えて!
さらに一つ!大人になれた気がした旅人の村田綾でした。