能登に残る…伝統文化の財産。|旅人:井門宗之
2018-04-13
私がまだ若かりし頃。
そうですねぇ、キャッチャーミットにストレートの全力投球が出来た頃ですから、
あれは28歳でした。その頃はまだディレクターの仕事もやってまして。
収録番組で、数本のレギュラーを担当。
その数本の中に伝統工芸や文化に携わる「匠」にインタビューする番組があったんです。
主に都内にいらっしゃる匠達の「ことば」は本当に素晴らしく、金言・名言の宝庫。
例を挙げるとキリが無いのですが、人間国宝の講談師・一龍斎貞水師匠は、
「倒されし竹はいつしか起き上がり、倒した雪の跡形もなし」と仰って、
竹の様な強さ、しなやかさを持ちなさいと教えてくださいました。
えっ?前振りが長くて何が言いたいか分からない?
じゃあシンプルにいくよ!
能登半島の伝統文化を探りにいくよ!
付いといで~!とでも言わんばかりのオープニングでございますが、
今回のテーマが『伝統文化の財産』を探る旅でございまして。
その旅のオープニングが見附島だったんですね。
OAを聞いて頂いた方はお分かりだと思いますが、この見附島、珪藻土の島でございます。
そしてこの珪藻土が最初の匠とかなり関係が深いとか…。
まずは見附島のある珠洲市にて、
切り出し七輪に携わる匠にお会いして来ました。
能登燃焼器工業株式会社、舟場慎一さんです。
井門「まずはイロハの“イ”なんですけど…、
切り出し七輪の“切り出し”ってのはどういう意味なんですか?」
舟場「普通は土を練って七輪の形を作り上げていくと思うんですけど、
切り出し七輪はその名の通り、原料となる土を四角く切り出して、
それを削って形にしていくんです。」
井門「その土というのが、珪藻土なんですよね。
そして見附島も珪藻土の塊…はいここで冒頭に繋がった!」
舟場さん曰く、珪藻土は約1000万年前の植物プランクトンの死骸が堆積した物。
この辺りも掘れば珪藻土という土地で、小さい頃から身近な存在だったそう。
珪藻土は火を入れると中の水分が飛んでスポンジ状になるそうで、
だからこそ断熱性に優れ、七輪にすると炭の持ちが良い物が出来上がるそうです。
僕らも後で珪藻土の煉瓦で作った窯も見せて頂いたのだけど、
火の当たる内側と外側ではちょうど半々くらいで煉瓦の色が違うんです。
いや、珪藻土って凄い!
舟場「昔はこうした行程で七輪を作っていた会社が沢山ありましたが、
いまはウチも含めて3社のみです。」
我々はその貴重な作業現場を見せて頂くべく、にわか研究員の様な格好で坑道の中へ。
全長数百メートルにも及ぶ坑道は地下水が沁み出し、
当然足元は悪く慎重に進まなければ危険な場所。
ヘルメットが無いと危険な場所もあるとの事で、緊張感も高まっていく。
一つ道を折れると太陽の光は途切れ、
坑道が永遠に続いているかの様な錯覚すら覚えてしまいます。
舟場さんの先導が無ければ、きっと坑道の中でミラクルさん辺りは遭難するに違いない。
そんなことを考えながら(そんなこと考えてたんだ)先へと進むと…。
職人の方が黙々と珪藻土の壁を切り出していました。
壁には格子状に等間隔で線が描かれており、それを長いノミで削っていくという作業です。
両腕全体を使って削り出す作業はまさに重労働。
ザッザッという音と目の前で行われる職人の技術に圧倒され、思わず言葉を無くしました。
そしてノミで削り出した部分に楔を入れて木槌で打つと…
井門「おぉ~!綺麗にポロっと落ちてきましたね!凄い!」
舟場「珪藻土の中の状態によっては綺麗に落ちてこない事もあります。
壁を見て頂くと分かると思うんですが、亀裂が入っている部分がありますよね?
こうした所に当たると綺麗な四角が取れなかったりするんです。」
全ての条件が合わないと、質の良い形が取れない。
質の良い形を取るにはまず職人の技術、そしてそもそもの珪藻土の状態が大切なのです。
貴重な作業場を見せて頂いた後は、七輪が出来るまでを見せて頂いたのですが…。
橋本「井門さん!なんでそんなにカッパが汚れてるんですか!?」
ゴル「本当だ!いつの間にそんなに泥が付いたの!?」
ミラクル「そんな汚れるタイミングあったっけ??」
井門「ふふふ、珪藻土の神様に認められたってことサ!」
何故か一人だけドロドロになる井門P。
坑道内の取材には合羽とヘルメットが必需品だという事を実感しました(笑)
さぁ、切り出した珪藻土を成型していく作業場です。
どうやら舟場さんの会社では作業場によって、
FMが流れる場所とAMが流れる場所があるとか。
舟場「いつも朝にやっている番組の女性、森藤さんでしたっけ?
森藤さんは普段からあんな感じなんですか?」
ハピモニへの質問も飛び交う位に舟場さんもハピモニを聴いてくださっていた様子。
井門「舟場さん…次の作業場はどちらを…ゴニョゴニョ…」
舟場「あっ、次はFMです(笑)」
井門「それは良かった(ホッ)ではお邪魔しまーす。」
ラジオ「バッター打った!ショートが取りまして一塁へ、スリーアウトチェンジ!」
井門「AMだったー!!!!!」
舟場「すみません、たまたま高校野球を聴いていて(笑)
いつもはFMなんですよ!」
舟場さんのお父上「いつもはFMです。」
という事で(どういう事だ)再び作業場へ。
こちらの作業場は切り出した珪藻土を成型していく場所。
四角く切り出した珪藻土の中を熟練の職人さんがノミで削っていくのです。
舟場「硬さで言えばチョコレートとかカレーのルーとか、そんな感じでしょうか。
ちょっと井門さんにも体験して頂きましょうか。」
井門「えっ!?良いんですか?」
舟場「商品になる物はちょっと難しいので、硬さだけを体験してみてください。
このノミでちょっと削ってみて貰えますか?」
井門「分かりました。では…。」
その後の井門のぶきっちょぶりはOAを聴いて頂ければお分かりですね?(笑)
いや、難しいんだって!硬さもありますが、刃を入れる角度によって全然違うんだから!
やっぱり熟練の匠は違います。職人歴も12~3年って仰ってたもんなぁ。
そして最後は七輪に金具を付ける最終工程の現場へ。
こちらでは女性が金具をトンカン叩いて付ける作業の真っ最中でした。
井門「随分と広い場所ですね!色んな形、大きさの七輪が並んでます。」
舟場「この建物は昔、小学校の体育館だったんです。
それをそのまま移築してきたので、備品なんかもそのまま使ってたりしますよ(笑)」
井門「ここにある七輪はよく旅館で見かける大きさですね!」
舟場「そうですね、こちらちょっと持ってみてください。」
井門「おぉ!相当に軽いですね~!」
坑道の中で見たあの珪藻土の塊が、成型され、窯で火を入れて、金具を付けて。
そしていまこの形になって手元に存在する不思議。
原材料から加工までこうして全て行って七輪を作っているのは珠洲市だけです。
その珠洲市の中でも、切り出し七輪を作っている会社は3社のみ。
舟場さんは元々東京で働いていらっしゃいましたが、
5年位前に戻って家業を継いだそうです。
東日本大震災の発生を受けて家業への想いを強くしたんだとか。
舟場「元々帰って来ようとは思っていたんですけど、
大切なものは早く戻って、守っていかなきゃならないなと思ったんです。」
お父様は舟場さんのこの決断を最初反対したそうですが、
そんなお父様と今は同じ職場で働いていらっしゃる。
舟場さんの口ぶりからはお父様への尊敬も強く感じられました。
親から子へ受け継がれていく伝統の技。
貴重な作業場まで見せて頂き、舟場さん、皆さん、有り難うございました!
続いて向かったのは能登町です。
こちらの匠は野鍛冶の匠。
ふくべ鍛冶の4代目、干場健太郎さんです。
鍛冶屋さんだけに店内には沢山の包丁などの刃物が。
中には漁船で使う漁師さん専用の包丁なんて物も!
干場「これは先端で魚を捌いて、根本の太い部分でロープなどを切るんです。
これ一つで船の上の作業が全て出来る様に作ってあります。」
笑顔で様々な質問に応えてくださった干場さん、
現在4代目として仕事をされていますが、実は跡を継いだのは3年前。
それまでは12年間役場で働いていらっしゃったそう。
井門「だからか!干場さんの雰囲気がふんわりと優しいんですよ!」
干場「有り難うございます(笑)」
干場さんの「ふくべ鍛冶」で取られているのは野鍛冶というスタイル。
この野鍛冶というのはどんな鍛冶屋さんかと言いますと??
干場「お客さんに教えられて忠実に再現する、
地域の要望を聴いてそれを作るスタイル、それが野鍛冶です。
100年以上前からこのスタイルでやっています。」
井門「でもお客さんのイメージと鍛冶屋さんのイメージを合わせるって大変ですよね?
頭の中に描いている物を干場さんが形にするわけですから…。」
干場「だからこそ何度も話しを聴いて作り上げていきます。
私が考案したものの代表作が“さざえ開け”と言うんですが、
これも移動鍛冶屋をしている時に魚屋さんを見ていて考えたんです。
さざえを開けるのに苦労している魚屋さん、
対していとも簡単に開けている魚屋さん、様々でした。
その中で魚屋さんに許可を取って道具を見て、作り上げたんです。」
こちらのさざえ開け、動画も見て欲しいなぁ…。
あの難しいさざえの身をちゅるん!って2秒位で剥いちゃうんだから!
他にも海底のなまこや貝を取る大きなUFOキャッチャーの様な道具や、
牛専用の蹄の爪切りなど、人の要望の数だけ道具があるって感じなのです。
因みにこの野鍛冶のスタイル、
店舗を持って総合的にやっているのは最早ふくべさんだけだとか。
干場「私達のお客さんでも高齢者が多くなりました。
皆さん重い農機具をかついでバスに乗って店まで来てくれるんです。
そしてまた直ったら取りに来て、バスに乗って帰っていく。
何とか出来ないかなぁ、と思い、ある時お客さんの家を地図で眺めていたら、
点を繋げるとだんだん線になっていったんです。
だったら自分から行った方がいいと思い、車を使って移動鍛冶屋を始めました。」
なんと優しい!移動鍛冶屋は優しさから生まれたアイデアだったんです!
干場「でも実はこの移動鍛冶屋のスタイル、100年前に初代もやってたんです(笑)
初代が馬車を使って30km以上離れた集落まで行ってたのが移動鍛冶屋の始まり。
集落に着くと土間を借りてカンカンやってたみたいですよ。」
井門「行く時期ってのは決まってたって事ですか?」
干場「どうやら毎年恒例だったらしくて、行くと歓迎されたそうです。」
人が何を求めているのかを考え、それを形にしていく仕事。
これは究極、優しさというのが最も大切になってくる仕事なのかもしれません。
因みに「ふくべ鍛冶」の「ふくべ」とは?
干場「その初代の勇作という人が大変な飲兵衛だったんです。
いつも日本酒を瓢箪に入れて持ち歩いてたそうで…。
仕事の前には気合いを入れる意味で一杯飲んでいたそうなんですけど、
実は“ふくべ”とは瓢箪の事を意味するんですね。
初代は周りから“ひょうたん鍛冶屋、ひょうたん鍛冶屋”と呼ばれていたので、
それが“ふくべ鍛冶”という屋号になりました。」
井門「干場さんもお酒は嫌いじゃない?」
干場「えぇ、嫌いじゃないです(笑)」
どうやら初代から受け継がれているのは「優しさ」だけではないようで(笑)
干場さんのお話しをお伺いした後は、作業場も見せて頂きました。
鉄の板をバーナーで700℃~800℃まで熱し、
機械で鍛造し、ハンマーでトンカンやるという工程。
通常は炉に火を入れて作業しているのですが、
お邪魔した時は火を落とした後だったので、無理を言ってバーナーで作業して頂きました。
鉄を熱する炎の音、赤々と熱を発する鉄を叩く鍛造の音、
そして形を整えるハンマーの音、その全てが現場では大迫力で。
ラジオでもなかなかの音でしたけど、生の音は物凄かったんだぜ!(笑)
そして干場さんも職人の顔つきで、物凄く格好良かったです!
「優しさ」と「技」が受け継がれていくふくべ鍛冶さん、
これからも地域の皆さんの為に、
そしてその技が全国の皆さんにも広まっていきますように!
最後の匠は輪島朝市通りにお店を構える輪島キリモト。
こちらは輪島の伝統工芸品である輪島塗の製造・販売を営むお店。
7代目の桐本泰一さんにお話しを伺いました。
桐本さんがまず説明してくださったのは、伝統的な輪島塗の工程です。
輪島塗と言えば値が張る…
なかなか手が届かないというイメージをお持ちの方も多いかもしれません。
が、しかし!!桐本さんのお話しを聞けば、その価値が十分にお分かり頂ける筈!
桐本「外でのお酒を3回我慢して頂ければ、
代々使える器が手に入るんです(笑)」
輪島塗の最大の特徴はまさにここです。
なんと言っても強い!
木地の吸い口に当たる部分と香台に当たる部分に布を着せて、
漆と米糊を混ぜた物を塗っていきます。これが骨の部分。
最大の特徴は何度も塗り重ねる事によって中身を強くしていく、という事。
更にそこに珪藻土を用い、何層も何層も漆を塗り込んで筋肉の部分を強くしていく。
だからこそ、100年経っても修理が出来るんです。
これが輪島塗の最大の特徴。
ただしその作業工程に準じていない品物は、
伝統工芸品としての輪島塗とは認められないんだそうです。
産業を守っていく為の国の取り決めがあるようで…。
桐本「例えばこの大皿なんかは表面に珪藻土の質感を出したんですけど、
これなんかは輪島塗とは呼べないんです。ただやってる事は殆ど一緒ですよ!」
店内に並ぶ作品の横には、その器で盛り付けられた美味しそうな料理の写真が並ぶ。
こうして“実際に使われている所”を見てもらう事で、より“伝わる”のです。
僕があまりの美しさで見惚れてしまった、色がグラデーションした輪島塗。
桐本「これは上塗りのぼかし塗りって言うんですけど、
グレーと白のグラデーションって今まで無かったんですよ。
それを上塗りの職人さんに頼んで作って貰ったんです。
最初は職人さんに抵抗されたんだけど(笑)、食べ物を入れると映えるんですよね。」
そしてその横には輪島の朝焼けをイメージした輪島塗の器が。
輪島の海は、海からの朝焼けも、海に沈む夕焼けも楽しむ事が出来ます。
この器はどちらかと言えば朝焼けと仰ってましたが、
その朝焼けの深い赤のグラデーションをぼかし塗りで表現したものだとか。
いやぁ…これはずっと眺めていたくなるほどに美しい…。
その他「うるう」という漆塗りのカップも見せて頂いたのですが、
これがまた飲み口の部分が“ぽってり”していて、何とも艶やか!
塗りの艶やかさと相まって、飲み口がまるで人の唇のような感じもしますが…。
桐本「これが完成した時に、まるで口づけをしている様な感覚だ!
と思春期の頃の娘に話したら、
“お父さん、キモいからその言い方やめて!”と言われました(笑)
そんな娘もいまは学校でデザインの勉強をしています。」
伝統へ挑戦し続ける匠の背中を、
しっかり見ている未来の匠もちゃんといらっしゃるようです。
そう言えば輪島塗の若いデザイナーの方には石川県以外の出身者が多いそうで、
東京、千葉、埼玉などの関東圏や愛知、滋賀、大阪、九州は鹿児島まで、
日本各地から輪島塗に魅せられてこの地に集まってきているそうな。
2020年に向けてJAPAN=漆がこれから更に注目されていくはず。
桐本さんは御自身を“輪島塗のアウトサイダー”と仰っていました。
ルー・リードの曲の様にワイルドサイドを歩け、とは言いませんが(笑)、
でも大きな伝統に挑戦し続けるエネルギーは、
敢えてアウトサイドにいないと生まれないとも思うんです。
輪島から世界へ!7代目の挑戦、応援させてください!
そして近い内に、輪島塗の器を手に入れるぞー!!
伝統を守ること、
そしてそれに挑んでいくこと。
伝統文化だからといって、古くなってはいけない。
必要なのは次の世代に繋げる事、そして多くの人に知って貰う事。
今回お話しを伺った3人の匠に共通する意識は、ここだったのかもしれません。
代々受け継がれてきたその伝統も、
初代が始めた時は“誰も手をつけていなかった事”だったはず。
誰もやった事がなかった事を始めた初代がいて、
その技を磨き続けた先代達がいたからこそ、“伝統”が出来上がったのです。
そこに共通して流れるのは“本物の気高さ”。
皆さんも本物に触れに、出掛けませんか?
素晴らしい逸品と、そこに携わるむちゃくちゃ格好良い職人に会いに!